親子教室では進歩が見られないので、ぴんくは通園施設へ通うことを決めた。
ここは最初は母子通園が基本だ。
今は大きく変わっているが、当時は「母親が働くなんてとんでもない、家族の中で一番弱いこの子を中心に生活を送ってください。」と言われていた。
幼い弟や妹のいる所には「連れてきてもいいですが、相手はしないでください。」と言われたそうだ。
母子通園を始めるとこれまた生活にゆとりがなくなる。
我が家は幼稚園に通う兄がいたので時間のやりくりに必死。
園では親も一緒に活動するが、ぴんくはこの場所に全く馴染まず、私にべったり。
小脇にぴんくを抱え、お遊戯や水遊び、ミニサーキットや工作となんでも“私が”する。
1年以上母子通園を経験した後、単独クラスへ。
この移行がなかなか上手く行かず、ますます不安定になってしまう。
当時この園では、自閉症の子に対しても視覚支援などを行っていなかった。
ぴんくに状況を伝える手段がなかった。
徐々に移行期間を取ったものの、それがまたわかりにくかったようで大混乱。
もうこの日から『単独で』となった時、意外とすんなり受け入れたのは
意味がやっと理解できたからかもしれない。
単独クラスの頃が、ぴんくの人生の中で最も荒れた時だった。
様子を見ると、担当の先生と全く関係作りができていない。
先生から言われた言葉も「ぴんくちゃん、いつも私の背中にくっついてます。」だった。
いつも背中。。。
向き合う時間を持とうとしてくれなかった。
せっかく皆時期をずらして単独に移行した、その意味がない。
最初から先生は接する子どもを選んでいた。
後はその他大勢、手の空いた先生がその場的に相手をする。
親も居ない、先生も振り向いてくれない中で緊張感ばかりが募ってしまった。
卒園後、皆も同じような気持ちを持っていたことを知った。
だけど誰も在園中は言えなかった。
こっそり廊下から参観すると、親が居る時と居ない時の対応が違う。。。
部屋をちょっと走ってしまったぴんくへの叱責は大きく厳しく、
ぴんくは怒られた意味がわからずこわばって萎縮していた。
私が来ると私にしがみつく。
だから私も先生と信頼関係を築けなかった。
現在は、新しく入った先生の力で、それぞれの障害の特性を考えた療育が取り入れられ、お母さんたちや兄弟の生活が守られるような在り方となった。
聞く限りではいい環境となっている。
ぴんくはしばらくはその場所に近寄るとパニックを起こした。
私はどう動けば良かったんだろう。。。
私の。。。ちょっとツライ思い出。
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ちょっと納得できなかった園での出来事、そして、思い
施設での運動会。
ずっと練習を重ね、本番は親も子も一緒になって楽しんだ。
そして反省会。
ある先生の一言を聞いて怒りが。
「○○ちゃんは勝ちたいっていう気持ちがとても強いので、今回の運動会は勝たせてあげようと会議でペアを決めました。」
それは、負けさせる相手を決めたということ。
もちろん、その負けさせるための、ペアとなった子のお母さんも居る前で。。。
○○ちゃんは身体に障害を持ったお友だち。
会話も出来るし、意志もしっかり持っている。
その“勝ちたい”競技というのでは、先生がその子を介助して行う物で、
先生が支えている限りその子は絶対負けない。
その相手に選ばれたのは大人しい女の子だった。
私は当日のことを覚えていた。
そのペアの子の表情は暗かった。
そしてその子が負けた時、その子に声を掛けた先生は居なかった。
「○○ちゃん、スゴイ!!」
そんな声ばかりで、ちょっと気になってたのだ。
その時はまさか意図的だなんて思わなかった。
こんな話しを聞かされて、負かされた子のお母さんは平気なのかな。。。
後で聞くと
「やっぱりおかしいよね?そうよね!私腹が立って先生に言いたかってんけど誰も何も言わないし、相手の子のお母さんの前では言いにくかった。泣きそうだった。。。」と。
運動会の勝敗を先生が会議で決める。。。
理解できない。
○○ちゃんの為にすらなっていないと思うのに。
誰が喜び、誰が傷ついたのか。
やっと見つけた自分の居場所。
どうか、その子を尊重して欲しい。
何もわからないと思って心を傷つけないで欲しい。